雙葉志望なら、国語記述を後回しにしない

塾のクラスやコースが算数中心に組まれていると、家庭でもどうしても算数に時間を取られがちです。もちろん算数は大事です。得点差がつきやすい科目ですし、苦手を残したままにするわけにはいきません。

ただ、雙葉を志望するのであれば、国語記述を後回しにしてよい、ということにはなりません。算数の対策に追われているうちに、国語は「読めているから大丈夫」「何となく書けているから大丈夫」と見過ごされてしまうことがあります。しかし、雙葉の国語で問われる力は、そう簡単に直前だけで整うものではありません。

雙葉の国語は、書く量よりも中身を見る

記述問題というと、長く書く練習をしなければいけない、と考えがちです。しかし、雙葉の国語で大事なのは、ただ字数を埋めることではありません。

本文のどこを根拠にするのか。設問は何を聞いているのか。自分の言葉でまとめるときに、余計なことを書きすぎていないか。逆に、必要な部分が抜けていないか。そういう答案の精度が問われます。

これは、短期間で急に身につくものではありません。子どもは、最初はどうしても本文の言葉をそのまま写したり、思いついたことを順番に並べたりします。そこから少しずつ、「何を答えるべきか」を考えて書く練習を重ねる必要があります。

塾の成績と雙葉の記述力は、必ずしも一致しない

塾の国語の成績が悪くないからといって、雙葉の記述に十分対応できているとは限りません。逆に、選択肢問題や知識問題で点を取れていても、記述答案になると急にあいまいになる子もいます。

塾のテストは、短時間で多くの問題を処理する力を見る面があります。もちろんそれも大切です。しかし、雙葉の対策としては、ひとつの文章を丁寧に読み、問いに合わせて答案を作る力を別に見ておく必要があります。

特に注意したいのは、「書いてはいるけれど、答えになっていない」答案です。本人は一生懸命書いている。マス目も埋まっている。けれど、設問に対する答えとしてはずれている。こういう答案は、家庭で見ても気づきにくいところがあります。

家庭でまず見るべきこと

家庭で国語記述を見るとき、最初から細かい表現を直そうとしすぎない方がよいでしょう。まず見るべきなのは、次の三つです。

第一に、設問に正面から答えているか。理由を聞かれているのに気持ちを書いていないか。内容説明を求められているのに、自分の感想になっていないか。ここを確認します。

第二に、本文中の根拠を押さえているか。記述答案は自由作文ではありません。本文のどこをもとにして書いたのかがはっきりしていなければ、点にはつながりにくいのです。

第三に、必要な要素がそろっているか。国語の記述では、ひとつのことだけを書けばよいとは限りません。理由が二つある場合もありますし、心情の変化を説明しなければならない場合もあります。答案を書く前に、何を入れるべきかを整理する習慣が必要です。

直すより、考え直させる

家庭でありがちなのは、親が赤ペンで正しい答案を書き直してしまうことです。もちろん、模範解答を見せることは必要です。しかし、それだけでは子どもの力にはなりません。

大事なのは、「なぜこの答えになるのか」を本人に考え直させることです。

「この問題は何を聞いている?」

「本文のどこを使えばよいと思う?」

「この一文は答えに必要かな?」

こうしたやり取りを通して、答案を作る前の考え方を整えていきます。国語記述は、書いた後に直すだけではなく、書く前にどう考えるかが重要なのです。

算数をやめるのではなく、国語の時間を少し確保する

雙葉志望だからといって、算数を軽く見てよいわけではありません。むしろ算数で大きく崩れないことは、合格のために欠かせない条件です。

ただ、算数に追われて国語記述がまったく手つかずになるのは避けたい。週に一度でもよいので、ひとつの文章を読み、ひとつの記述答案を丁寧に見直す時間を作ることです。

たくさん解く必要はありません。むしろ、雑に数をこなすより、ひとつの答案をしっかり考え直す方が力になります。なぜその表現では足りないのか。どの言葉を入れると答えが締まるのか。そういう経験を積ませていくことが大切です。

雙葉志望なら、早めに記述の型を整える

国語記述は、最後にまとめて仕上げるものではありません。特に雙葉を志望する場合、早い段階から「読む」「考える」「書く」「直す」という流れを作っておきたいところです。

塾のクラスが算数中心になっていること自体は、決して悪いことではありません。ただ、その流れに任せきりにしていると、国語記述の準備が後ろに回ってしまうことがあります。

雙葉の国語に必要なのは、派手なテクニックではありません。本文を丁寧に読み、問われたことにきちんと答える力です。その力を家庭で少しずつ見ていく。そこに、雙葉志望のご家庭が早めに手を入れる意味があります。